大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和49年(ワ)11068号 判決 1977年12月23日

原告 島輝嘉 ほか一名

被告 日本専売公社 ほか一名

訴訟代理人 押切瞳 中島重幸

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の申立

(原告ら)

一  被告日本国有鉄道(以下被告国鉄という)は原告らに対し、別紙物件目録(一)記載の土地(以下本件(一)の土地という)につき徳島地方法務局阿南支局昭和三〇年三月三一日受付第八六五号をもつてした所有権移転登記の抹消登記手続をし、かつ同土地を明渡せ。

二  被告日本専売公社(以下被告公社という)は原告らに対し、別紙物件目録(二)記載の土地につき前記法務局支局昭和三〇年四月一日受付第八九九号をもつてした所有権移転登記の抹消登記手続をし、かつ同土地を明渡せ。

三  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決を求める。

(被告ら)

主文と同旨の判決を求める。

第二当事者の主張

一  請求の原因

(一)  本件(一)、(二)の各土地は、もと訴外亡島隆介(以下亡隆介という)の所有であつたところ、亡隆介が昭和三三年八月九日死亡したため、原告輝嘉はその持分三分の二を、原告清子はその三分の一を各相続により取得した。

(二)  しかるに、本件(一)の土地については被告国鉄のために、同(二)の土地については被告公社のために、いずれも請求の趣旨記載のとおりの所有権移転登記がなされており、かつ被告国鉄は本件(一)の土地を、被告公社は同(二)の土地をいずれも占有している。

(三)  よつて、原告らはいずれも所有権(共有持分)に基いて、被告らに対し右各所有権移転登記の抹消登記手続を求めると共に、各土地の明渡しを求める。

二  請求原因事実に対する被告らの認否

請求原因事実は、原告らが相続により本件(一)、(二)の土地の所有権(共有持分)を取得したとの点を争いその余はすべて認める。

三  被告国鉄の抗弁

(一)  売買による所有権の取得

1 被告国鉄は、被告国鉄の阿波富岡電力分区の分区長宿舎用地として本件(一)の土地を買取る必要を生じ、昭和二九年一〇月ころ、当時の被告国鉄の四国鉄道管理局施設部総務課用地担当者であつた重松勇が、亡隆介の父である訴外島律太郎(以下訴外律太郎という)を亡隆介の代理人として本件(一)の地土につき売買の申入れをし、そのころ同訴外人との間で売買契約が成立し、翌三一日その旨の所有権移転登記手続をなした。

2 右売買契約に際し、訴外律太郎は、本件(一)の土地を含む今福寺一〇番の亡隆介所有の土地につき、これを管理処分する包括的代理権を亡隆介から与えられていたものである。

3 仮に、訴外律太郎が本件(一)の土地を売却処分するにつき代理権を与えられていなかつたとしても、次の理由により、訴外律太郎が亡隆介の代理人としてなした右売買契約は民法一一〇条の表見代理として効力を有するものである。すなわち、

(1) 亡隆介は昭和一一年ころ朝鮮京幾道に居住していたほか生存中ほとんど富岡町には居住しなかつた。

(2) そのため本件(1)の土地の換地前の土地である富岡町今福寺六六番の一を含む同六六番の土地については、亡隆介の父である訴外律太郎が、亡隆介からその保存並びに利用・改良を目的とする行為について包括的な権限を与えられ、そのための法律行為をなすにつき代理権を有していた。

(3) 右代理権に基き、訴外律太郎は、右土地について訴外土倉某との間で賃貸借契約をなして小作料の収受をし、昭和二八年ころには才見土地改良区によつて実施された土地改良事業に関し組合員としての経費の支払、土地改良区からの通知の受領、換地処分に伴う清算金の支払又は受領等の行為を亡隆介の代理人としてなしていた。

(4) 従つて、訴外律太郎がなした右売買契約は、右管理、保序のために有していた代理権の範囲を超えてなしたものであるところ、被告国鉄の契約担当者であつた訴外重松は、訴外律太郎が右売買契約をなすにつき代理権を有するものと信じて右売買契約に応じたものである。

(5) 訴外重松は次の事情により、訴外律太郎に代理権があるものと信じた。

1 前記(1)のとおり亡隆介が富岡町に長期間不在であつたところ、訴外律太郎は亡隆介の父親であつて、亡隆介が明治二八年一二月に分家したのち明治三二年一二月から成人に達するまでその後見人であつた。

2 本件(一)の土地の換地前の土地である富岡町今福寺六六番の土地は、亡隆介が分家したころ、訴外律太郎から贈与されたものである。

3 訴外律太郎は亡隆介を代理して前記(3)記載のとおりの各種の法律行為をなしていたほか、昭和二五年一一月ころに、被告国鉄が亡隆介所有の土地の一部を買受けた際にも、訴外律太郎が亡隆介の代理人としてこれをなしており、また被告国鉄が本件(一)の土地の買取のため訴外律太郎と交渉していたところ、訴外富岡町(現在阿南市)も同じく訴外律太郎を亡隆介の代理人として、亡隆介所有の土地につき売買の交渉を進めていた。

4 訴外律太郎は自ら、前記訴外重松に対し、本件(一)の土地につき亡隆介から一切を任されている旨言明していた。

訴外重松は以上の事情から、訴外律太郎に代理権があると信じたのであり、このように信じたについては正当な理由がある。

(6) なお、本件(一)の土地は才見地区の土地改良事業による換地処分によつて亡隆介の所有となつたものであり、右換地処分の登記の日付は昭和三〇年二月二二日であつて、被告国鉄と訴外律太郎の間でなした売買契約の後である。しかし、右土地改良事業は昭和二八年三月三一日に完了し、徳島県知事は同年四月一〇日付徳島県告示第二二〇号をもつて右換地処分を認可した旨公告し、右公告により換地処分の効力が発生した(当時の土地改良法五四条一項)から、被告国鉄は右売買契約により本件(一)の土地の所有権を取得した。

(二)  取得時効

(1) 被告国鉄は前記売買契約の結果、昭和二九年一二月二日までにはその引渡を受け、同日以降所有の意思をもつて平穏かつ公然に占有を継続し、前記売買契約をなすに至つた経緯に照らし、占有のはじめにおいて自ら所有者と信じたにつき善意かつ無過失であつたものである。

従つて、占有を開始して一〇年を経過した昭和三九年一二月二〇日の経過により、民法一六二条二項によりその所有権を取得した。

(2) 仮に、占有のはじめにおいて善意、無過失と認められないとしても、占有を開始して二〇年を経た昭和四九年一二月二〇日の経過により、民法一六二条一項により所有権を取得した。

(3) なお、被告国鉄は、昭和二九年一二月二〇日から、本件(一)の土地を含む土地上に、訴外藤崎組に依頼して、前記分区長宿舎の建築をはじめて、同宿舎敷地として本件(一)の土地を占有し、昭和四三年二月八日以降は被告国鉄の業務用自動車の通路を開設し、その用地として占有している。

四  被告国鉄の抗弁に対する原告らの認否

(一)  売買契約による所有権の取得の主張につき

(1) 同(1)の事実中、主張のとおりの所有権移転登記がなされている事実は認めるがその余の事実はすべて否認する。

(2) 同(2)の事実は否認する。

(3) 同(3)冒頭の主張は失当である。

亡隆介が訴外律太郎に対して本件(一)の土地につき何らかの代理権を授与した事実はない。

また、訴外律太郎を亡隆介の代理人として売買契約をなすに当つては、それが不動産の処分という重要な法律行為であり、亡隆介が富岡町に居住しない事実を知つていたのであるから、亡隆介本人の意思を確認する処置をとるべきであり、全国に営業所を有する被告国鉄としてはそれが容易になしうる立場にあつた。のみならず、本件(一)の土地は、換地処分により、地番、位置、面積が変動し、従来のそれと状態を異にしている土地であるから、従前律太郎が亡隆介の土地に何らかの関係をもつていたとしても直ちに同人が本件土地の処分につき代理権を有するものと即断したことは軽卒というべきであり正当な事由があつたということはできない。

(4) なお、本件(一)の土地は、換地処分により、昭和三〇年二月二二日亡隆介の所有となつたもので、その次前になした売買契約により所有権を取得することはあり得ない。

(二)  取得時効の主張につき

(1) 同(1)の事実は否認する。特に占有を開始したと主張する昭和二九年一二月二〇日には未だ売買契約が成立していたとは認められない(登記簿上記載されている売買契約成立日の日は昭和三〇年三月三〇日である)から、被告国鉄において引渡を受けて占有を始めたとは到底考えられない。占有を開始したとしてもそれは昭和三〇年三月三〇日以後である。

また、被告国鉄は本件(一)の土地を買受けるに際し訴外律太郎が代理権を有しないことを知つていたのであるからその占有のはじめにおいて善意であつたとはいえない。仮に代理権があると信じたとしても、既に主張したとおりそのように信じたについては過失があつたのであるから、売買契約により所有権を取得したと信じたとしてもそのように信じたについては過失がある。

(2) 同(2)の主張は争う。占有開始の時期については既に主張したとおりである。

(3) 同(3)は否認するし本件(一)の土地は主張の宿舎の敷地として使用された事実はなく、空地である。

五  被告公社の抗弁

(一)  売買による所有権の取得

(1) 被告公社は被告公社富岡出張所の業務拡張に伴いその敷地拡張の必要を生じたため、昭和二九年一月ころ、訴外富岡町に対し隣接地の取得につき協力を申し入れた。

(2) 同町の町議会は被告公社の右申入れを受け入れることとし、昭和二九年九月二八日被告公社の必要とする右出張所敷地用地を同町が土地所有者から買取り、地目変更等の必要な手続および被告公社の指示した通りの整地を行つたうえでこれを被告公社に譲渡する旨の決議をした。

(3) そこで訴外富岡町は昭和三〇年三月ころ本件(二)の土地につき亡隆介との間で売買契約をなし、その所有権を取得した。

右売買契約が、亡隆介との間でなされたものでないとしても、訴外律太郎を亡隆介の代理人として訴外律太郎との間で行われた。

(4) 訴外律太郎は亡隆介の父であり、右売買契約が行われた当時本件(二)の土地を含む亡隆介所有の今福寺一〇番の土地の管理処分について包括的な代理権を有していた。

(5) 仮に、訴外律太郎が処分権を有していなかつたとしても、当時同訴外人は本件(二)の土地を管理する権限を有していたものであり、訴外富岡町は、訴外律太郎の本件(二)の土地に対する管理状況および亡隆介の父であること等からその処分権限があるものと信じて右売買契約をなしたものであり、このように信じたについては相当の理由があつたのであるから民法一一〇条により右代理行為は有効である。

(6) 被告公社は、訴外富岡町との間で本件(二)の土地につき昭和三〇年一月四日売買契約をなし、亡隆介より売買により所有権を取得した訴外富岡町より同年四月一日その所有権の移転を受け、同日中間省略の方法により亡隆介から被告公社に所有権移転登記がなされた。

(二)  取得時効

被告公社は昭和三一年一月一三日訴外富岡町から本件(二)の土地の引渡しを受け、以来所有の意思をもつて占有を継続した。 被告公社は、前記売買契約をなした事情から、訴外富岡町が、本件(二)の土地の所有権を有効に取得したものと信じていたものであり、当時本件(二)の土地とともに訴外富岡町から買受けた土地がすべて有効に取得されていた事情をも併せると、被告公社において本件(二)の土地について所有権を取得したと信じるのは無理のないところであるから、被告公社はその占有のはじめにあたり善意でありかつ過失はなかつたものである。

したがつて、占有を開始して一〇年を経過した昭和四一年一月一三日をもつて被告公社は時効により本件(二)の土地の所有権を取

得した。

六  被告公社の抗弁に対する認否

(一)  売買による所有権取得の主張につき

(1) 本件(二)の土地につき亡隆介と訴外富岡町との間に売買契約

が成立した旨の事実は否認する。

(2) 訴外律太郎が亡隆介の代理人として本件(二)の土地につき訴外富岡町との間で売買契約をした事実および訴外律太郎が本件(二)の土地につき亡隆介を代理して右売買契約をなす権限を有していた事実を否認する。

(3) 訴外富岡町と被告公社との問で本件(二)の土地につき売買契約が成立したとの事実は否認する。訴外富岡町は被告公社が本件(二)の土地を買取るにつきあつせんをしたに過ぎないものである。

(4) 訴外富岡町が、訴外律太郎が亡隆介の代理人であると信ずるにつき正当な事由があつたとの点は争う。訴外律太郎が自ら代理権がある旨述べていたとしても訴外富岡町としては、直接亡隆介本人に確めるとか、委任状の提出を求めるとかして代理権の存在を確認すべきであり、単に訴外律太郎が亡隆介の父親であるという一事をもつて代理権ありと信ずるが如きは極めて軽卒である。

(二)  取得時効の主張につき

(1) 抗弁事実はすべて否認する。

(2) 仮に主張のとおり占有を継続したとしても、占有をはじめるに当り善意であつたとはいえない。すなわち被告公社が売買により所有権を取得するに当り、訴外富岡町が有効な売買契約により所有権を取得しているとの確信を有してはいなかつたのであり、将来所有権の帰属につき問題が生じたときは訴外富岡町に処理させざるを得ないとの不安をもつて占有を開始したものである。

仮に、占有をはじめるに当り所有者であると信じていたとしても被告公社には過失があつた。すなわち、被告公社は訴外富岡町と亡隆介間の売買契約書の存在も確認せず、中間省略の登記をなすに当つては亡隆介の同意もとらず、また亡隆介に対し、直接、売却の事実の真否について確認することもしてないのであり、これらの点において過失があつたというべきである。

第三証拠の提出、援用 <省略>

理由

第一本件(一)、(二)の土地がもと亡隆介の所有であつたこと、亡隆介が昭和三三年八月九日死亡したこと、原告らが亡隆介の法定相続人であること、本件(一)の土地につき、被告国鉄のために徳島地方法務局阿南支局昭和三〇年三月三一日受付第八六五号をもつて、同月三〇日の売買を原因として、亡隆介から所有権移転登記がなされ、本件(二)の土地につき、被告公社のために、前記法務局支局昭和三〇年四月一日受付第八九九号をもつて、同年三月三一日の売買を原因として、亡隆介から所有権移転登記が各なされていること、被告国鉄が本件(一)の土地を、被告公社が本件(二)の土地を各占有使用していることの各事実は当事者間に争いがない。

第二そこで、被告国鉄の抗弁(一)について検討する。

一  <証拠省略>によると、昭和二九年ころ被告国鉄の四国鉄道管理局(当時)では、同管理局管内の富岡電力分区長宿舎を新築するための敷地用地を取得する必要が生じたので、同管理局総務課用地事務の職にあつた訴外重松勇に、本件(一)の土地を含む用地の売買交渉を土地所有者との間で進めるよう命じたこと、訴外重松は登記簿により目的土地の所有者を確認しようとしたが、当時本件(一)の土地一帯は、才見地区土地改良事業により換地処分の手続が行われ、既に徳島県知事の認可があり、その旨の公告もなされていたため登記簿の閲覧ができず、才見地区土地改良区事務所で調査の結果、本件(一)の土地が亡隆介に対する換地として指定されている事実を確認したこと、そこで所有者である亡隆介と交渉しようとしたが、同人が富岡町に居住していなかつたため、同町に在住していた同人の父親である訴外律太郎と交渉したところ訴外律太郎より、亡隆介は遠方に行つていてその所在が判らないが、本件(一)の土地はもと自分の所有であつたものを亡隆介に贈与したものであつて土地については亡隆介より一任されており、昭和二五年ころにも被告国鉄から亡隆介所有の土地につき買入れの話があつた際亡隆介を代理してその売買に応じたことがある旨の説明があつたこと、そこで右訴外重松は訴外律太郎を亡隆介の代理人として売買の交渉を進め、同年一〇月末ころ、本件(一)の土地につき売買契約を結ぶに至つたこと、但し、当時は未だ前記換地処分の手続が完了せず、所有権移転登記手続ができない状態にあつたため、右手続完了後所有権移転登記手続をなし、これと同時に代金の支払いをすることを約したことの各事実が認められる。

二  しかし、全証拠を検討しても、訴外律太郎が本件(一)の土地を売却するにつき亡隆介を代理する権限を有したと認めるに足りる証拠は見当らない。

三  よつて次に表見代理の主張について判断する。

いずれも<証拠省略>によると、亡隆介は昭和一〇年一二月六日原告清子と婚姻した当時長崎市に居住し、遅くともそのころより以前に富岡町を離れて以来東京、朝鮮、長崎市、東京と転住し昭和三三年八月九日死亡するまで富岡町(後に阿南市)には居住したことはもとより一時的にも帰つたことはなかつたこと、本件(一)の土地を含む亡隆介所有名義の土地については、その間亡隆介においては、公租公課の納付その他保存、管理に必要な処置を自らなしたことはなく、訴外律太郎において亡隆介所有の土地につき訴外土倉に小作させその小作料を収受しており、その他土地改良事業に伴う換地処分(前記認定の事実のとおり)に関する手続も亡隆介に代つて訴外律太郎がこれを行つていたと推認されること、以上のとおりの事実が認められる。

これらの事実からすると、亡隆介が富岡町を出るに当り、訴外律太郎に対し、亡隆介所有の土地につき、不在中その管理、保存につき何らかの処理を委任したと推認し得るようにも考えられる。

しかし、原告清子本人尋問の結果によると、亡隆介は富岡町を出てから死亡するまでの極めて長い期間中訴外律太郎とはもとより母親およびその余の富岡町在住の近親者と音信を交すこともなく、富岡町に帰ることもなかつたというのであり、亡隆介が富岡町を出た際、訴外律太郎との間で土地の管理等を託するような信頼関係にあつたと認めるについては疑問があり、訴外律太郎が亡隆介所有の土地につきなした前記認定のような行為は、事務管理として、或は自己のためになしたものと考える余地も十分考えられる。

亡隆介および訴外律太郎が既に死亡しており、その他亡隆介と訴外律太郎間の亡隆介所有の土地に関する法律関係を証するに足りる証拠は見当らないので、結局するところ、訴外律太郎が、亡隆介から、亡隆介所有の土地の管理等につき何らかの代理権を与えられていたと認めるのは困難である。

よつて表見代理の主張もまた採用できない。

第三次に被告国鉄の抗弁(二)について判断する。

一  <証拠省略>によると、被告国鉄は、前記分区長宿舎を昭和二九年度内に完成させる必要があつたところ、その工期として二か月半ないし三か月が見込まれており、早期に着工する必要があつたため、訴外建太郎と話合いの結果、契約後汽らに引渡を受けることとし、訴外藤崎組こと藤崎仲一との間で昭和二九年一二月二〇日に着工して昭和三〇年二月二七日に完成させるとの約定で昭和二九年一二月一六日右宿舎の新築工事の契約をし、右契約通り完成して昭和三〇年三月一日に被告国鉄においてその引渡を受けたことが認められる。

以上の事実からすると、右請負契約により着工日と定められた昭和二九年一二月二〇日には訴外律太郎から本件(一)の土地の引渡を受けて占有を開始したものと推認することができる。

そして、前掲各証拠によると、被告国鉄は以後本件(一)の土地を前記宿舎の敷地の一部として使用し、昭和四三年二月八日以降は駅構内に出入りする自動車用通路の敷地に変更したが引続き占有使用していることが認められる。

被告国鉄の占有が所有の意思で、平穏、公然に行われたことは、右占有していた事実によつて推認されるばかりでなく、右認定の占有するまでの経緯およびその後の利用の形態に照らしこれを認めることができる。

二  そこで、被告国鉄が占有をはじめるに当り善意、無過失であつたとする点について検討する。

(一)  亡隆介が富岡町を出て死亡するまでの間再三にわたつて居所を転じ、両親およびその余の富岡町在住の近親者と音信を交すこともまた富岡町に一時的にもせよ帰ることもなかつたこと、その間本件(一)の土地を含む亡隆介所有の土地については亡律太郎において管理に当つていたことの各事実は既に認定したとおりである。

(二)  証入重松勇の証言によると、被告国鉄の職員として訴外律太郎との間で売買契約の交渉に当つた訴外重松勇は、訴外律太郎から、亡隆介は遠方に行つていてその所在が判らないこと、本件(一)の土地はもと訴外律太郎の所有であつたものを亡隆介に贈与したもので、父である律太郎が亡隆介よりその一切を任されていること、昭和二五年ころにも被告国鉄から亡隆介所有の土地につき売買の交渉があり、その際も律太郎が亡隆介を代理して売買契約をした事実があること、訴外公社用地についても売買の交渉がありこれについても亡隆介を代理して交渉に応じていることなどの事実を聞かされ、調査したところ、昭和二五年ころ被告国鉄が亡隆介所有の土地を買取つた事実が確認されたこと、訴外重松はこれらの事実に基いて訴外律太郎を亡隆介の正当な代理人と判断して売買契約に応じたことの各事実を認めることができる。

(三)  以上の事実に基いて判断すると、一般に長期間にわたつて自己所有の土地の所在地を離れているときには、その保存、管理の諸種の事実上の行為或は法律上の行為をなす必要が生ずることが当然予想され、これを身近かな親族に託することは通常行われることであり、訴外律太郎と亡隆介が親子の関係にあり、もと本件(一)の土地が訴外律太郎の所有であつたところ亡隆介の幼児のころこれを贈与したものであるとことから、訴外律太郎が、亡隆介から一切を任されている旨述べていたことを訴外重松が信用したとしても特に責められるべきころはないと考えられる。しかも昭和二五年ころに同様に訴外律太郎が亡隆介所有の土地を、亡隆介の代理人として売渡した事実があり、本件(一)の土地の売買の交渉がなされたころまで四年余を経過しているのにその間所有者である亡隆介から何らの異議も述べられていなかつたのであり、これらの事実から訴外重松が、訴外律太郎を亡隆介の代理人と信じて売買契約をすすめ、被告国鉄において、売買により本件(一)の土地の所有権を取得したと信じてその占有を開始したのであるから、所有者と信じた点につき善意でありかつ過失はなかつたものというべきである。

三  以上のとおりであるから、被告国鉄は昭和二九年一二月二一日から一〇年を経過した昭和三九年一二月二〇日の経過により時効により本件(一)の土地の所有権を取得したものと認めることができる。

第四被告公社の抗弁(一)について判断する

一  <証拠省略>によると、被告公社では、富岡町出張所の敷地を拡張するため本件(二)の土地を含む周辺の土地を買取る必要を生じたため、昭和二九年ころ訴外富岡町(当時)に対し、富岡町において周辺土地を買入れて地目変更等の必要手続をなし、かつ、目的土地が大部分田であるためこれを埋立て整地したうえで被告公社に売り渡して欲しい旨申し入れ、同町の訴外沢田紋町長はこれを同町議会に諮つて承認を得たうえで右申入れに応じたこと、そこで右町長は土地所有者との売買契約の交渉を、当時同町農林水産課長であつた訴外羽坂雅男に命じ、同訴外人がこれに当つたこと、本件(二)の土地については、所有名義人であつた亡隆介が富岡町に在住せず、富岡町を出て同町に一度も帰つたことがなく、右訴外人も一度も亡隆太郎と会つたことがなく、「亡隆介は満州に行つている」とか「亡隆介は富岡町には帰つて来ない」などの話も耳にしており、売買の交渉をはじめるに当り、もと富岡町の助役であつた訴外藤坂から、以前に被告国鉄の用地を買取つたときの経験から亡隆介の土地についてはその父である訴外律太郎を代理人として交渉した方がよいと教えられていたことなどから、訴外律太郎および亡隆介の母である訴外島ヒデに会つて売買の交渉をしたこと、これに対し訴外律太郎は亡隆介の代理人として交渉に応じ、昭和三〇年三月末日ころまでに訴外富岡町との間で売買契約を成立させるに至つたこと、これより昭和三〇年一月四日被告公社と訴外富岡町の間で、訴外富岡町が買取るべき土地を目的として、同年三月二五日までに所有権移転ならびに引渡しをなす旨の売買契約をなしたこと、本件(二)の土地については、右契約に基いて、同年一月一三日訴外富岡町から被告公社に引渡し、訴外律太郎を亡隆介の代理人としてその承諾を得て、同年三月三一日中間省略の方法により亡隆介から被告公社に所有権移転登記手続をしたこと、以上のとおりの事実が認められる。

被告公社が主張するように、亡隆介が訴外富岡町との問で自ら契約をなしたと認めるに足りる証拠は見当らない。

二  訴外律太郎が、亡隆介を代理する権限を有していたと認めるに足りる証拠が見当らないこと、更に、表見代理の主張についても、訴外律太郎が何らかの基本代理権を有していたと認めることができないことについては、いずれも被告国鉄の抗弁について判示したところと同じである。

従つて、売買により所有権を取得した旨の抗弁は採用できない。

第五よつて、被告公社の抗弁(二)について判断する。

一  本件(二)の土地につき、訴外律太郎を亡隆介の代理人として訴外富岡町との間で売買契約をし更に訴外富岡町と被告公社との聞で売買契約をしたこと、訴外富岡町が右売買契約に基いて訴外律太郎から本件土地の引渡を受け、埋立工事をなしたうえでこれを昭和三〇年一月一三日に被告公社に引渡したことは既に認定したとおりである。

これらの事実と、検証の結果、<証拠省略>を併せ判断すると、被告公社は右引渡しを受けたのち、昭和三〇年一一月ころから本件(二)の土地を含む新たに買受けた土地上に従前の敷地内にあつた事務所等の移築を始め、昭和三一年一月ころにはこれら土地の外周に塀を作り、現に被告公社富岡出張所(現阿南営業所)敷地として使用していることが認められる。

以上の事実によると、被告公社は、訴外富岡町から引渡しを受けた昭和三〇年一月一三日以降、引続き所有の意思をもつて本件(二)の土地を占有し、その占有は平穏かつ公然になされているものということができる。

二  そこで占有をはじめるに当り善意、無過失であつたとする点について検討する。

(一)  <証拠省略>によると、被告公社においては、その敷地用地等を買取る際その面積が大きいときは、目的土地の所在する地域の地方公共団体に依頼した方が円滑に買取り手続が進行するので、地方公共団体に依頼することとしていること、本件の用地買取りもその趣旨で訴外富岡町に依頼し、前記認定の経過により訴外富岡町が土地所有者との売買契約の交渉をなし、被告公社は訴外富岡町が買取つた土地につき同所との間で売買契約をして引渡しを受けたものであること、被告公社においては、売買契約書の作成、登記手続等の書類の作成等につき、その事務的手続を手伝つたことはあるが、土地所有者との交渉は一切関与しなかつたこと、中間省略の方法により、各土地所有者から被告公社に直接所有権移転登記手続をしたのは訴外富岡町の希望によるものであること、右手続に必要な書類はすべて訴外富岡町の手によつて被告公社に手渡されたことの各事実が認められる。

これらの事実に照らすと、被告公社としては、訴外富岡町が各土地所有者から適法に所有権を取得したうえで被告公社に売り渡すものと信じてこれを取得したものと認められるのであり、その相手方が地方公共団体であることを考慮すれば、特に、その所有権取得の手続に過ちのあることを疑い、自らこれを確認しなかつたとしても過失があつたものということはできない。

従つて、被告公社が、訴外富岡町との売買契約により所有権を取得したと信じたことについて故意のみならず過失もなかつたものと認められる。

三  以上のとおりであるから、被告公社は昭和三〇年一月一四日から一〇年を経過した昭和四〇年一月一三日の経過により、時効により本件(二)の土地の所有権を取得したものと認めることができる。

従つて、被告公社の抗弁(二)は理由がある。

第六以上判示したとおり、被告国鉄は本件(一)の土地を、被告公社は本件(二)の土地を、いずれも時効によりその所有権を取得したものと認められるから、原告の本訴請求はいずれも理由がないものというべく、これを棄却することとし、民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 川上正俊)

物件目録 <省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例